右手でつまみあげたイヤホンはたいてい左耳用。
毎度。俺です。
このブログのサブタイトルみたいなところにも書いてある通り、私はいわゆる運動音痴。ウンチ君です。ドンくさい、ニブいとも言います。
とにかく小さな頃から身体を動かすことが苦手=キライで、小学校から大学まで体育の授業といえば苦痛以外の何ものでもありませんでした。体育の授業を合法的に回避できるのならば悪魔に魂を売ってもいいとさえ思っていましたがそれとてかなわず、悪魔からも見放された暗黒の少年時代であったと言えます。
逆上がりができないとか走るのが遅いとかはいいんです。別に。自分が恥ずかしいだけなので。いや、それだって十分につらいことでしたが。生まれながらにして闘争心というものにめぐまれなかったので、できなくて悔しいという気持ちはありませんでした。
しかし、団体競技でチームメイトに迷惑をかけるのがつらかった。サッカーのチーム分けなど、私の運痴ぶりを知っているクラスメートからは私はもはやハンデ扱いです。
いや、私だって何とか仲間に迷惑をかけないようにボールに触るまいと必死なんですよ? でも、ボールを避けてコートの脇に遠ざかっていてもそこが突然「いい位置」になってしまうという局面は往々にしてあるわけで、急にチャンスボールが回ってきたもののどうしてよいかわからずチャンスを何一つモノにできないままチーム全員から非難を浴びるということの繰り返しでした。いや、非難を浴びるよりも「気にすんなよ」の一言のほうがグッサリ来ましたけどね。
さいわいにも、中高6年間の思春期は男子校で過ごしましたので、同世代の女子の前でブザマな姿を晒すという地獄の責め苦はほとんど受けずに済みました。もしこれが共学であったなら私は本当にどうにかして悪魔を呼び出す方法を発見してしまっていたかもしれません。
そんな私ですので、いまだに球技全般はキライです。モノを投げたり受けたりするのが苦手なのはずっと変わっていません。キャッチボールとか無理。だって、宙を飛ぶボールの軌跡から落下点を予測し、そこに身体の一部または全体を(できれば最短距離で)移動し、ボールの到達と完全にタイミングを合わせてそれを保持する、という高度に複雑な芸当を、ボールが放たれてから手元に到着するまでのごく短時間で行わなければならないんですよ? そんなことできるはずがありません。
よく至近距離からクルマのキーとかミカンとかを気軽に私に放って寄越すやつがいますが、どうかと思いますね。「ちょ、投げんなよ!」ってキムタク口調で叫びますけどね。手渡しでお願いします。
運痴自慢をしたいわけではなかった。
そんな運痴の私なのに、なぜこんなにスキーが楽しいんだろう、という話をしたかったのです。
救いがたい運動音痴の私にとって、スキーは生まれて初めてひとなみに楽しめるスポーツだった、というのが私がスキーにハマッたもっとも大きな理由です。
板を揃えてパラレルターンができた、ということは、ボーゲンスキーヤーよりはうまい、ということは、世の中に私よりヘタな人がいる! これだけでも常に最底辺が定位置だった私のスポーツ史では奇蹟に近い出来事です。運動が得意な人にこの成功体験を正しく共感してもらうことはおそらく難しいでしょう。
そしてさらにうれしいことに、練習すればもう少し上達しそうという手応えがあったのです。ものごとを練習して上達するプロセスというのは何によらず楽しいものですが、スポーツの分野で自分がそれを実感できる日が来るとはまったく思っていませんでした。
もしかしたら、上級者は無理としても熱心に練習すれば中級者くらいにはなれるんじゃないか。うっすらそんな予感すらしました。えっ、スポーツで私が中くらいだなんて、そんな夢みたいな話があるかしら! これは四十年間の運動音痴人生に差した一筋の光明にほかなりません。大げさに言っているわけではありませんよ。
そう。スキーが私を虜にしたのは、そこに積年の劣等感から解き放たれる喜びがあったからなのです。
こうして私はスキーにハマっていきました。ハマッた後もそれはもう楽しいことばかりだったのですが、長くなったのでそれについてはまた別の記事にします。
私も、子供時代から高校くらいまで、運動は苦手でした。今も、得意って訳じゃないけどね。
思うに、小学生の体育って、どうやればできるかとか、出来ない時にはどうすればいいのかという事を、一切教えずに、ただやらせていた(やらされていた)だけだったんじゃないかと思います。
そりゃ、才能のある奴はそれでできるようになったかもしれんさ。でも、自分からはできなくても、順を追って教えれば、出来るようになった子らもいるのではないかなぁ…
と思うのは、大人になってから、自分なりに動きを分析して、実はこうなんじゃないかと考えながらやっていたら、苦手だったはずの事でもできるようになったという経験からです。テニスでのサーブですが、他人から教わっても一向にできるようにはならなかったのが、自分で考えるようになったらできるようになったという話ですが。
さて、スキーに関しては、足元が滑る、足元が斜めになっているという二点で、日常の生活とは違う環境に置かれます。
どんなに運動神経が良くても、これに対応するには経験が必要なようです。ということで、この経験によって身につく部分に関しては、運動神経は特に関係ないのかも。
あとは、自転車にも共通しますが、自分で自分を動かす必要がないってのは、結構、重要かも。
>KNJさん
毎度です!
根性論・精神論や練習量ではなく、頭で考えることで上達への道があっけなく開けるのはスキーの特殊性ですよね。私もスキーのそこに惚れています(このテーマについては後日記事を立てる予定です)。
私がスキーにハマるきっかけのひとつとなった文書『スキー100年目の革命』でこうした運動の質の違いを「できる・できない型」「うまい・へた型」という表現で端的に分類しています。これはなるほどなあと思いました。
http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a17.html