親愛なるメタボ諸兄よ。
減量するならまず、毎日体重をはかろうではないか。
これ、一般的に言われすぎてて耳タコかもしれない。ダイエットには毎日体重計測。よく見聞きするであろう。耳タコすぎて逆にやりたくなくなっちまってるくらいかもしれない。
でもやりなさい。運動とか食事制限とかを考える前に、まずコレを習慣にしなさい。なぜなら、毎日体重をはかると、それだけでもある程度のダイエット効果があるから。
私がそう主張する根拠を以下に記す。ただし私個人の経験にもとづく私見を多く含むのでそこは注意されたい。
まず、毎日体重をはかると、自分が今減量中であるという意識を常に心に置いておける。日常のふとしたときに自分の今朝の体重が思い出されるのだ。
たとえばちょっと口寂しいときとかに、ふと今朝の体重が頭をよぎる。すると、いつもなら間食するところだけど「ま、昼飯まですぐだしな……」と踏みとどまったりすることがある。ちょっと喉が渇いたときとかに、いつもなら習慣で缶コーヒーを飲むところだけど、「今は喉が渇いてるだけだし、甘い必要はないな……」とウーロン茶を選んだりすることがある。
「することがある」程度でよいのだ。「ついそうしていた」だともっとよい。自発的に、自然発生的に、無意識にそうなっていることが大切なのである。
「ガマンしなきゃ!」とか、「しないと決めたから守る!」とかいう風に、厳しい行動規範にしてしまう必要はない。そういうのは、意志の強さが必要だからである。
考えてもみたまえ。意志が弱いから今メタボなのである。そんな者に、意志の強さに依存するような方法がうまくいくと思うか? 意志力ゼロでも勝手にそうなっちゃう方法があるならば、それに身を任せているほうがよっぽど確実ではないか。
で、体重をはかり続けていると、無意識が及ぼすこうした影響は計測結果とどんどんリンクしてくる。たとえば、一週間前の体重は覚えていなくとも、昨日と今日の体重くらいは覚えているものである。今日の体重が昨日と比べてちょっと増えていたりすると「増えてたし……」となにかにつけてブレーキがかかる。逆に減っていれば減っていたで「減ったぶんが惜しいし……」と、やはりブレーキがかかったりする。
こうしたことは、毎日体重をはかっていないと起こらない。毎日はからないと増えた減ったを意識することができないし、そもそも三十過ぎたら三日前の体重なんて覚えてらんないのである。
目標体重まであと何キロ、なんてことを考える必要はない。よほどの愚鈍でなければ、毎日体重計に乗ってその数字をながめているだけでやがて色々なことが見えてくるはずである。
前日どのくらい不摂生をすると翌朝体重はどのくらい増えるのか。逆にどのくらいの摂生をしたらどのくらい減るのか。ジョギングしたらいくら減る、自転車乗ったらいくら減る、とか。規則正しい生活をしている人ならば、一週間の中にも体重変化のパターンがあることに気づくかもしれない。また、体重がわりとダイレクトに直前の生活を反映することに驚くかもしれない。
つまり、生活や活動と体重変化との相関を現象としてわりと正確に把握できるようになってくる。データとしての体重計測が生きてくるのだ。なんだかとらえどころのなかった体重というものが、自分の意思でコントロールできそうなもののように感じられてくるはずだ。
こうなるともう地図を手に入れたに等しい。自分を知る。自分のカラダを知る。ここからがダイエットである。逆に言えば、これを知らずにダイエットするのは地図もなしに見知らぬ土地に向かって旅をするようなものだ。わかっているのはおおまかな方角だけという無謀な旅である。
地図を手に入れれば、目的地を指で指し示すこともできるし、そこへ到達するまでの距離、障害物や近道も一望のもとである。戦略が練りやすくなるのだ。むやみに厳しすぎる作戦を立てて頓挫することもないし、いたずらに効果のない作戦に突き進むこともない。毎日の夕食はこのくらいにしておいて、週末にはこのくらいあれをやればだいたい月に△kgくらい減るでしょ、そのくらいならできそうだな、みたいな、データと経験に基づいて現実とよく折り合いのついた実効力のある戦略が立てられる。
次回は、体重のはかりかたについてえらそうに述べる。
先生、ついていきますッ!
>ぷるるん男爵さん
ついてきてくださるのは結構ですが、結果責任を問われるのは困りますよ〜