注文してもいないアダルトDVDを送り付けて、その代金を執拗に請求するという悪徳商法が横行しているらしいですね。私も被害を受けたいです。すぐに送ってきなさい。
毎度。俺です。
久しぶりにスキーのへっぽこ技術論を書くぞ〜。
SAJ教程がわりと常識的なものに変わった昨シーズン以来、基礎スキー界隈でのホットな技術談義(要するに口げんか)もだいぶ沈静化した感じですね。沈静化したとは言いつつも、いざ技術論となると相変わらずブログが荒れたりはしているようですし、対象なきアンチによるハイブリッド叩きがいまだに健在なのも面白いです。死者に鞭打つというか。
私も一昨シーズンに「ハイブリッドスキーイングつまんね」と感じて離脱して以来どちらかというとアンチSAJの立場をとるようになってしまいましたが、最近は考えが変わってまいりました。再びSAJになびいた、という意味ではありません。
SAJがどんなヘンテコな教程を掲げたって別に構わないではないか
ムキになってSAJ教程を叩くのは間違いではないか
だって、
基礎スキーはローカル競技であり、そのルールについて部外者が口出しする筋合いはないでしょ
ということです。
この基礎スキーという世界でほかに類を見ない競技形態のスキー、どちらかというとフィギュア競技に近く、シュプールの軌跡やシルエット、流麗さ、迫力といった芸術性を重んじる採点競技です。
滑走運動の合理性は問われるもののタイム計測などが行われるわけではなく、滑走している姿を見て審美的に採点が行われますので、かつてのフィギュアスケートの規定演技や、武道の「形(かた)」などに近いものでしょう(フリースタイルスキーも同様ですが、技の独創性や難易度などが評価基準ですのでこちらは体操競技に近そうですね)。
このような日本オリジナルの競技形態が形成されていった歴史的背景は私には想像することしかできませんが、箱庭のように狭い日本のスキー場という環境的要因とか、習い事を好む日本人の国民性とよくフィットしたことがあるのかなあと思います。級や段を与えて指導者を目指す昇段システムは日本のあらゆる武道やお稽古ごとに深く根付いた仕組みですからね。
で、この採点競技の採点基準となるのが悪名高いSAJ教程なわけですが、これの評判が、近年、すこぶる悪かった。
お稽古ごととのアナロジーで話を進めますが、教程は武道で言えば指南書に相当するわけで、それこそがSAJ宗家のオリジナリティでありアイデンティティなわけですよね。ですから、SAJ一門が弟子にどんなスキーを学ばせようが、ほかの流派の人間に口出しされる筋合いはないと思うのです。
なのにどういうわけか、SAJ教程はここ数年の間、部外者から激しい非難を浴び続けました。
余計なお世話ではないでしょうか。
SAJ教程があそこまで叩かれた背景と、そこから導き出される日本のスキー産業を取り巻く問題点などについてはまた稿を改めて。