毎度。俺です。
ニセコ旅行の最終日は花園エリアで午前中少し滑りましたが、私と友人S妻の残存体力が底をついていたため、リフト数本で滑走をあきらめました。
サイドカントリー体験したり、ニセコのよく締まった超絶に雪質のいい整地で調子に乗ってカッ飛ばしたりして体力配分を間違えました。しかしちまちまセーブして滑って最後に体力を余らせるよりも、しっかり燃え尽きたほうが悔いがない。
「もう滑れません!」と言いながら笑ってニセコを後にしました。
この週末は東京で大雪が降っていて、土曜日はけっこうたくさんの飛行機が欠航したようですね。私たちの帰る日曜日も余波はまだまだ残っており、新千歳空港にはたくさんの空港難民がフロアに毛布を敷いて空席待ちをしていました。
さいわい私たちの飛行機は出発が3時間半遅れただけでちゃんと飛び、無事に羽田へ帰り着くことができましたし、羽田には自家用車を置きっぱなしにしていたのでそこからの交通も問題なし。状況を考えあわせれば、ニセコに雪が降らなかったこと以外はまずまずスムーズな旅だったのではないかと思います。
遅延のおかげで新千歳空港の内部にはずいぶん詳しくなりました
さて、2月9日にニセコから帰り、10日11日は自宅でほぼ放心していました。翌週は関東甲信越で記録的な大雪で雪かきしかしていませんでした。そしてようやく先週末、菅平オオマツに行ったのですが……、
リフトに乗れば木立の中にしか目が行きません。
降り場に着けば「もう終わりか」、
ゲレンデ滑っていても「狭いなあ」と。
菅平は人生初のレーシングキャンプ体験で、楽しくてとてもためになる内容だったのですが、ニセコショックから脱するのに時間がかかり、しばらく集中できませんでした。コースサイドや不整地バーンが気になってしょうがありません。
「北海道に行ったら本州のスキー場がつまらなくなりますよ」
と言った同僚の言葉を噛みしめることになりました。なんだか、ニセコの前と後ではスキー観が変わってしまったようです。
スキーって冒険なんだ。
スキー板は、大自然をアドベンチャーする頼りになる道具。命の危険と対面しながら、知恵と勇気と技術で生還する遊び、それがスキー。
ゲートの外に2回ばかりちょろっと出ただけで何を偉そうに、と思われるかもしれませんが、いやいや私的には大冒険だったんです。緊張と恐怖と、興奮。登山やダイビングといった一歩間違えれば死ぬ遊びにはこれまで関心がありませんでしたが、あれを楽しむ人々のメンタリティが少し理解できたような気がしました。バックカントリースキーが人気なのもうなずけます。
これのどこを滑ってもいいわけです
ニセコはコースの斜度設定がおかしくて、中級者コースでも平気で30°オーバーがじゃんじゃん出てきますし、もちろんゲート外に出れば45°以上も当たり前っていうかそんなのいちいちかまってたら滑る場所がありません。そんな環境をヒイヒイ言いながら滑っているうちに斜度感覚も多少壊れたようです。週末のオオマツでもコースじゃないところのガケを見て「あのくらいならまあたぶん大丈夫……」などと考えている自分にびっくりしました。
もっとも、変化したのはあくまでもメンタル面だけであって、特に滑走技術にブレイクスルーが起きたというわけではありません。その変化こそが大きいとも言えますが。整備されたゲレンデばかり滑っていたら、また飼いならされたスキーヤーに戻ってしまいます。どうやらニセコには定期的に通わなければいけないようですよ。